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cradleの独り言

都内の某大学文学部に通う虚弱学生が綴るアングラな雑記。

伝統文化概論2(第9講)

死→中国では色々議論しながらも、死後の世界は何もないのではないかという考えが主流

儒教の神主(しんしゅ)→親の肉体に宿る魂を先祖の魂まで連れていく行為。死んだ人の「気」は「魂(こん)」(陽の気)と「魄(はく)」(陰の気)にわかれ、「魂」が先祖代々の墓まで運ばれる。この行為は仏教に位牌として取り込まれた。中国・朝鮮は血縁関係がないと位牌に効果がないが日本は養子でも問題無し。日本の祖先信仰は、神は家の中のどこかにいるという考えで成り立っている。

 

中国は血縁関係を重んじ、男子が後継に必要で、かなわない時は、甥、従兄弟、嬪の子が存続。また中国では女は実家の祭りに参加できない。祭りは永遠に残る魂を慰めるもの。日本は家元制度で家職を重んじ、養子を取って家を存続させるのが大事だった。弟子と娘を結婚させる、あるいは親戚の中から男を探す、あるいは養子。(cf.)◯◯屋、芝居、茶道、華道。(cf.)第8講

 

朱熹は弟子に朱性を与えなかった。日本なら養子にして朱性を名乗らせる。

 

儒教的知識人は身内の死が近いと寺(仏教)にいく。死の超克に最大限に答えたものは中国では仏教(極楽、輪廻転生)であった。

 

輪廻転生→悪行を働くと生まれ変わりは地獄に近づく。善行を行うと非業の死を遂げても極楽に生まれ変わりは近づく。(cf.)禅宗の償債

 

インド→死後は遺灰(灰骨)をガンジス川に流す。1回忌、3回忌は儒教の影響でやるようになった。

 

四苦→生老病死

 

後漢 仏教流入

三国

西晋

南北朝 仏教台頭 三国

隋唐 仏教王座 統一新羅

元明清 儒教王座 高麗ー李氏朝鮮

 

東アジア共通の思想変遷

〜中世→仏教強い

近世〜儒教強い

 

南北朝以前は中国の中心は黄河流域だった(漢民族)が、南北朝以降は長江が中心になった(北:異民族、南:漢民族)。南朝北朝ともに仏教が盛んだったが、北朝の方が積極的に寺院を建立し、戒律も厳しく守った。

 

范縝(梁の儒者、450年〜515年)

→神滅論を唱えた。神滅論とは、霊魂は肉体の形質であり、肉体は霊魂の作用であるとし、霊魂が滅べば肉体も滅び、肉体が滅べば霊魂も滅ぶという思想で、輪廻転生を否定するものであった。(cf.)刀は肉体、切れ味は霊魂。

仏教側の反論

→刀を二つに割ると両方が刀として成立し、切れ味は変わらないが、霊魂は二つに分けられないため、この比喩は不適である。

 

→物理的説明(どのように死は起こるのか=「気」が消滅し宇宙に溶けていく)と心理的説明(死後の世界に対してどのように心を安んずるのか)の両方が必要。しかし神滅論は物理的説明のみ。そのため単発に終わった。

 

近世の儒教

張載(張横渠)(1020年〜1077年)

程頤(程伊川)(1033年〜1107年)

人間は海に浮かぶ氷のようである。氷はやがて溶けて海と一体になる。同様に人も自分自身を意識しないことによって、万物を包含する宇宙と一体になれる。宇宙は不滅であるから自分も不滅である。

へその奥に「真元の気」がある。この気を使い切ったら人は死ぬ。孔子の弟子の顔回は節制していたにもかかわらず早死にしたのは彼の「真元の気」が普通の人より少なかったから。→朱熹が継承。呼吸によって「真元の気」が身体をめぐる。

どんな時でも自然であることで、天地万物と一体になり、永遠性を獲得できる。

(cf.)ジョセフ・ニーダム『中国の科学と文明』「気」=matter and energy

 

カトリックのアジア・アフリカ布教の反動(シノワズリ

(cf.)ライプニッツの「モナド」→「気」をヒントに?

(cf.)ボーアの「2進法」→「陰陽」をヒントに?

 

伝統文化概論2(第8講)

古代→死後は地下の国or西方の山に霊魂が向かっていくとされたが、時代が進むにつれて、人の死について理論だった説明が求められるようになった(孔子以後の儒教の課題)

儒教→葬式を尊ぶため、一部の人々からは宗教とみなされるが、魂の行き先など、人の死についての具体的な説明はない。仏教の輪廻転生及び極楽・地獄・死後の世界を否定し、あくまで道徳として葬式を行う。「三年の喪」は25か月説と27か月説がある。

 

キリスト教イスラム教→天国・地獄

仏教→極楽・地獄

 

輪廻転生→仏教の思想。初七日(魂の選別)、二七日、三七日、七七日(四十九日、納骨)

 

(cf.)餓鬼道、畜生道、償債

 

中国、朝鮮、日本、ベトナム儒教的家族(cf.)ベトナムは母に孝行する面が強い

中国→祖先にお祈りしなければ自分の霊は慰められない。父子一気。養子は血が途絶えるのでダメ。そのため一夫一妻制ではない。孟子も「一番の親孝行は男子を生むこと」と言っている。(cf.)キリスト教は一夫一妻制。

均分相続。子供が4人いれば4等分。親の名前の字を子供につけることは親への冒涜。

日本→祖先とは関係なく独立した霊魂。家職が最優先。歌舞伎などでは家の維持のために養子を取る。息子がいようが下手なら養子を取る。天皇家が唯一養子を取らない家。長子相続(今は均分相続)。子供が4人いれば長男が相続し、残り3人を養う。江戸時代に名字帯刀は表向き武士以外許されず。

北朝鮮→中国に類似。しかし名前は日本式。(ex.)金日成金正日金正恩

 

(cf.)斯波義信(東大)

儒教→死んだ先は虚無、不安が広がる

仏教→輪廻転生(ex.)禅宗→無常迅速、生死事大。生死は事として大きい。

 

日記→あまり見られない。近代以降盛んに。曾国藩のものが有名。

日録→政治的な記録。

 

墨子』(戦国〜前漢に成立、墨子自身は春秋の人)

→中国人が死に関して冷めていることを示している。中国古代において珍しく宗教性の高い墨子においてすらそのようである。

韓非子』→死んだら「知」(知覚)があろうがなかろうがどうでもいい

『説苑』(前漢の劉向の著)→死んで「知」があるかを知るのは死んでからでも遅くはない

孔子家後』(王粛の著)→子路「死とは何か?」孔子「未だ生を知らず。焉んぞ死を知らんや」

朱熹→15歳で娘が死ぬ。「汝に知あるものなほおそるる事なし」

陶淵明東晋)や陸游南宋)も似たような考え。「万事空」

(cf.)吉原浩人(早稲田)『東洋における死の思想』

伝統文化概論2(第7講)

朱子学

朱熹(1130年〜1200年)が大成。デカルト物心二元論とは異なり、自然と心を一つに扱う。理気二元論(「理」は形而上、「気」は形而下)を主張。

 

孟子→惻隠の心、仁の端、気質は変化する。

 

朝鮮→仏教弾圧により朱子学が台頭、陽明学も多少あった。

日本→伊藤仁斎→『論語』には人が誤ることが当然と捉えられている。聖人にはなれな

        い。

   荻生徂徠→気質は変化しない。人の性格は修養によって変わらない。

        仁義礼智は人によってバランスが異なる。

   二人とも朱子学を批判(朱熹の持ち出す「理」は空論であり、朱子学は非人間的

   思想である)しているが「有」の立場をとる。

 

キリスト教

唐代:ネストリウス派

明末:マルティン・ルター宗教改革カルヴァン派の台頭で焦ったカトリックのアジア・アフリカ布教はイグナティウス・ロヨラを中心とするイエズス会によって遂行された。イエズス会の中国布教では、まず社会的地位が上位の人々を改宗させる必要があったので、官僚=士大夫儒家の改宗を目指した。そのため仏教を批判しながら儒教と手を組む方法をとった。日本布教ではキリスト教儒教の対立が深まった。

(cf.)キリスト→天主(天帝の選択肢もあったが、皇帝と対立するので天主に)

   デウス→提宇子(音訳)

(cf.)上智大→イエズス会 龍谷大→浄土真宗

 

思想比較の分野は、思想統制の影響で中国の研究者が少ない。また。漢文とラテン語など、全く異なる言語を2つ以上駆使する必要があり、研究が困難。

トマス・アクィナス神学大全

柳父章『ゴッドと上帝』

伝統文化概論2(第6講)

(cf.)井筒俊彦『意識と本質』

儒家・道家→分節・本節はヨーロッパの思想とは異なる

(cf.)サルトルの『嘔吐』において、ヨーロッパ人は無意味な世界に不安を抱くとするが、中国人は無意味な世界では自由にのびのびと暮らせる。

 

(cf.)平川彰(仏教学者)

仏教は「空」の思想であり、あらゆるものにおいて固定的なものは何もなく、特定のものに執着することを忌避する。(cf.)諸行無常

 

『般若心経』

色は空に異ならず

空は色に異ならず

色即是空

空即是色

→後半の二行が万物が常に変化することを表す。色=物質

 

(cf.)宮本生尊(仏教学者)

儒教父親に対して親孝行

仏教→母親に対して親孝行

禅宗臨済宗→看話禅(中国語表記)只管打坐

   曹洞宗→黙照禅(中国語表記)

維摩経→在家仏教の一つ。漢訳とベトナム語の経典しかなかったが、近年インドで梵語の経典が発見された。

(cf.)島地黙雷浄土真宗本願寺派の僧

 

道学→儒教の一派。宋代に「自分たちの儒教こそが本当の「道」を明らかにする」と主張した。「有」の思想を提唱。

理学→「理」を概念として重要視した一派。朱熹も属す。陸九淵が初出。

宋学→宋代以後の儒学

易経』→『周易正義』(王弼(魏)と韓伯の注に孔穎達がさらに注をつけた)として編纂された。王弼と韓伯は玄学(道教)の影響を受けていたので、注に道家思想(「無」の思想など)の傾向が見られる。

程顥(明道先生)、程頤(伊川先生)→二程子

『易伝』→程頤が易経を「有」の世界で再解釈。

 

体用(『易経』由来)

体用一源、顕微無間。

気=用=顕

理=体=微

一つのものを二つに分けてとらえると、ものは「体」と「用」に分けられるが「体」と「用」はもともと一つである。「体用は一にして二(体用一而二)」。ものごとの法則や秩序は、全て「微」すなわち微かにしか感覚器官で捉えることはできず、目で認識できるのは「顕」のみである。

 

儒教→秩序を意識することで社会を安定させる。

道教→秩序を否定し、秩序から解放されることで社会は安定する。

伝統文化概論2(第5講)

「儒」→春秋戦国では「儒学」(主に中国で使用)「儒教」(主に日本で使用)は見られず。「儒」の一文字のみ。

 

「釈老」→儒家仏教道教を批判する際に用いる。「釈」=「仏」「老」=「道」

 

日本の「自然」→現状肯定的。手を加えない状態を日本人は期待する傾向。

中国の「自然」→現状否定的。

 

→手を加えてできる=作為的∵植物は生長するため一定の形を保つのが難しい。また人間は心理的にそのままの本当の「自然」には耐えられないため、加工することを強いられる。

(cf.)原色の緑色の服はあまり売られていないのも、緑色が自然を連想させ人を不安にするため。

(cf.)ヨーロッパの庭園は、大陸風庭園(幾何学模様)(ex.)ヴェルサイユ宮殿、イギリス風庭園(自然を生かした形)の2種類がある。

 

山水画

→中国の山水画は、ただ自然を書いているのではなく、人の手が加えられている。

形似→写生。ありのままを描く。あまり望ましくない方法。

気韻→そこに漂う雰囲気をも絵の中に表現。「気」は人間が感じ取れるエネルギーを指す。「気」功は現代になって初めて生まれた言葉。気功に似た体操は古代から存在する。気功における不老長寿は道教に由来している。

(ex.)張彦遠(唐)『歴代名画記』、郭熙(北宋)『早春図』、李成、范寬、関仝(北宋)、牧谿もっけい)(南宋

 

中国→親子墓別、夫婦墓一緒

日本→親子墓一緒

 

中国の生成論

→無から有が生まれる過程で、混沌(「もの」という形で対象を把握できない、「無名」の状況)とした世界が天と地に分かれて有が生まれる。その過程に造物主たる神は不要(cf.)第4講

中国の構造論

→道家:本来は混沌。無為自然。無の思想。

 儒家:本来有と無に分かれた状態。有為自然。有の思想。

 

老子第40章

天下万物有より生じ、有は無から生ず。

之を損し又損し、以って無為に至る。「損す」=限りなく削ること

無為にして為さざる無し。

伝統文化概論2(第4講)

作為=人=外

自然=天=内

(cf.)「人」「天」は荘子の主張。「天」は殷代までは「大きい」という意味の形容詞だったが、周代から今の「天」の意味になった。

 

老荘、道家→無為自然

儒家→有為自然

 

楊時(楊亀山、亀山先生)(北宋期〜南宋期の儒家

→「馬首に絡め、牛鼻に穿つ」=無為自然批判

 

儒教

→究極の社会統治は無為(『論語』無為而治者)。舜を理想とする(舜の徳によりあらゆるものが調和していた時代が理想)。最初は有為、最終的に無為を目指す。

 

礼記』礼運篇

→中国の近代化において、これに基づいて儒教を再解釈する動きもあった。この篇の内容は、世界において全てが平等で一体化された「大同」という状態を目指すというもの。漢の思想にも見られる。

康有為

→近代中国最大の思想家。社会進化論を唱える。戊戌の変法に関わる。伊藤博文が保護。『礼記』礼運篇を受けて『大同書』を著す。

公羊学派

→康有為と同時期に『春秋公羊伝』に基づいた思想を展開。世界は未来に理想郷を用意しているはずであると主張。

康有為と公羊学派の思想が結びつき、未来には「大同」があるとされた。

「大同」

→緯度経度を元にした平等な国家。男女平等。結婚は1年ごとに契約。生まれた子供はみんなのもの。職業差別なし。

(cf.)西洋(ヨーロッパ)との共通性

西洋でも(オルテガが予見した現代の大衆社会の通りに)、

〜近世「古代中世に生まれたかった。ギリシアローマに生まれたかった」

近世〜「未来の方がより暮らしやすい生活が待っている」

となっていた。

 

十八史略』(元の曽先之の著)

→「鼓腹撃壌」(「腹鼓をして地面を叩いて笑う」の意)

優れた皇帝が統治する国では、人々がごく自然に生き、皇帝の力が及んでいないと感じさせるほどである。

 

(cf.)第3講

黄老思想

前漢武帝期までは無為自然の政治思想として盛んだったが、以降儒教に押され宗教思想にとどまった。後漢仏教と結びつく。 

韓非子→喩老篇、解老篇で老子の政治要素の影響あり。

孟子孔子の死後100年で誕生。性善説。王道、覇道の「王覇論」を展開。

荀子孟子の生まれた50年後誕生。孟子批判。

 

孟子荀子の違い

孟子→人の「心の官」を「性」とする。仁義礼智。儒教的な道徳論。

荀子→人の「耳目の官」を「性」とする。後天的な学習(礼楽)・環境の整備。

   人間は合群し、共通認識を持つ。「名」の体系を覚えることで共通認識の理解が

   進む。(cf.)大共名、大別名

   キリスト教(原罪)、韓非子(法家)に比べ人間の可能性を信じている。

   「偽(い)」→人べん+為で人為を表す。

 

孔子墨子→仁義についての理論あり

老子孟子

老子孟子の「仁義」を批判。「仁義」のない、非道徳的=自然な社会が理想

荀子老子

荀子老子の「無為自然」を批判。人間はそのままではなく、人為があって初めて成り立っている。

(cf.)津田左右吉(早稲田)→孟子老子荀子の思想的潮流を主張but老子は50年しかないことになり、やや苦しい主張。

 

法相宗→五性各別、唯識思想(心だけは存在する)、人間は完璧ではない(性悪説)。

如来蔵系→あらゆる人が仏と同じ心を持つ(性善説)。

 

仏教→誰でも仏になれる(悉皆成仏、悉有仏性)

道教→誰でも神仙になれる

儒教→誰でも聖人になれる(孟子由来だが、孟子はそこまでは言っておらず、堯舜禹はあくまで人だったとする。より強調したのが朱子学南宋陽明学(明朝)。)

 

陽明学と同時期にヨーロッパでは宗教改革が起こり、プロテスタントは隆盛を見せていた。そこでカトリックは、イグナティウス・ロヨラらを中心として、アジア・アフリカへの布教を進めた。イスラム教はすでに中国で漢文を通して浸透していたので、中国でのキリスト教布教は漢文を用いてなされた。

 

プロテスタント→基督教

カトリック→天主教

イスラム教→清真教、回教

 

ヨーロッパと中国の有と無の概念の違い

ヨーロッパ→「無からの創造」何もないところから「神」が世界を作った。「神」は今も超越的に宇宙に関わっている。

中国→宇宙の最初は混沌として均質な世界であり、自然と世界は天と地に分かれ、そこから万物が生まれた→創造主=「神」は不要

マテオ・リッチ「中国人は本当の無を理解していない」

 

 

伝統文化概論2(第3講)

老子』→「自然」を初めて哲学用語として使用。不老不死&政治思想の要素で河上口注がついている。

老子司馬遷の『史記』では老耼(ろうたん)=耼長老

   『論語』では老彭(ろうほう)=彭長老 

荀子』→戦国中期に成立、『老子』批判

湖北省から出土した最古の『老子』→戦国中期〜後期

(cf.)現在の中国は土砂の堆積で発掘が珍しく、中心地から外れた墓などで発掘されている。盗掘や偽物の流通もある。

(cf.)藤枝晃(京大)「敦煌文書は流通しているものはほとんど偽物」

 

老子』25章

有あり混成す。

天地に先んじて生ず。

寂(じゃく)として廖(りょう)たり。(cf)兮(けい)→南方の置き字(cf.)楚辞

独立して改めず。

周行して殆(あや)うからず。

以って天下の母と為るべし。(cf.)谷神死せず。母=谷神=玄牝(げんびん)牝=谷

吾其の名を知らず。

之に字(あざな)して道と曰ふ。(cf.)本当の「道」は名前を持たない。

大は逝(せい)と曰ひ、逝は遠と曰ひ、遠は反と曰ひ、故に道大なり。

天は大なり、地は大なり、王も亦た大なり。

域中に四大有り。

而して王其の一に居るなり。

人は地に法(のッと)る。

地は天に法る。

天は道に法る。

道は自然に法る。

 

老子』→俗世を離れる、また政治政策は放任主義を取る

     個人を政治より優先、良い政治には無為の二刀流

黄老思想→戦国期〜、but儒教に追いやられる

仏教黄老思想に近いものとして受容された

自然の「自」→鼻の象形文字(cf.)第2講

自然の「然」→偶「然」、必「然」

→本来森や木や草を指す言葉ではない

 

呂氏春秋』→呂不韋(秦の始皇帝パトロン(or父親)、大商人)の著作

春気至れば則ち草木産す。

秋気至れば則ち草木落す。

産と落と之を使せしむるもの或(あ)り。

自然に非ざるなり。

春気と秋気が草木に働きかけている→自然はそのもの自体の中に作為を含むのであって、外部からの影響としての作為はない

 

道家

→なぜ人は苦しむのか?

→有(世の中のしがらみ)への執着、自分の意識の持ちようで世界は有にも無にもなる

 

荀子

→作為派

性悪説を唱えるが、これはキリスト教の原罪とは全く異なる(性悪説の本質は、人間は外部の影響を受けて向上するということ)、また性悪説は性悪篇でしか触れられていない。王政篇で「善悪」を定義している。

 

孔子春秋時代老子孔子孟子の間(100年)、荀子孟子の50年後

孟子性善説荀子性悪説は本質は同じ

 

韓非子

→人間不信からスタート。「親が子供に無償の愛を与えるのは嘘」「子供は女なら殺し、男なら農村の労働力として養育」など。道徳ではなく法で規制。王は個性を見せてはいけない∵必ず他者によって利用されてしまうから。王は無であるべき。

(cf.)刑名参同→情をかけず刑を執行する。刑=形

 

宋代以後

老荘無為自然。道徳を否定。「大道廃れて仁義有り」「小国寡民」など。

    (cf.)「老荘」という言葉は前漢武帝期の淮南王劉安の著『淮南子』が初出。

儒教→作為派から自然派へ方向転換。有為自然。

 

荘子』(漢代52篇、六朝33篇)

→自然=天、作為=人。「天は内、人は外」。牛の鼻に輪、馬の背に羈(おもがい)を否定。生まれながらの姿をよしとする。『老子』要素もある。個人を政治より優先。

→『荘子』は戦国中期〜前漢前期までに書かれた。最古のものは『老子』と同時期?

 

楊時→北宋儒者荘子批判。「牛の背に羈、馬の鼻に輪ではなく、牛の鼻に輪、馬の背に羈(おもがい)とするのが正しい。これを有為自然と呼ぶのだ」