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cradleの独り言

都内の某大学文学部に通う虚弱学生が綴るアングラな雑記。

伝統文化概論2(第2講)

北京→中国の都の中では北方の都

   燕→燕京、金→中京、元→大都、清→北京

   紫禁城(故宮)は北京にある

   明の永楽帝が、金陵から自分の支配地である燕京(北京)へ遷都し、金陵は南京

   と呼ばれるようになった。

 

韓国・北朝鮮の呼称問題→韓国/朝鮮 韓国語/朝鮮語

韓国の学者は北朝鮮北韓と表記するが北朝鮮の学者は抗議∵朝鮮は本来一つ

以前は李氏(朝鮮)今は朝鮮王朝と表記

 

ベトナム→半分東アジア半分東南アジアの影響を受けている。王朝によって影響に偏り

 

漢字文化圏(cf.)第1講

ベトナム語→仏語表記だが音は漢語=漢字の発音が残る

共通の知識・教養→儒教経書・史書・文学

 

仏教の経典→1. パーリ語(小乗=上座部

      2. サンスクリット語梵語(大乗)→漢訳

サンスクリット語で読むのが一番釈迦の時代の言葉に近いが、中国・朝鮮・日本は皆漢訳=漢文(アジアの聖なる言語(cf.)アンダーソン(cf.)第1講)を読んでいる。

 

ラテン語→中世ヨーロッパの僧の聖なる語

ギリシア語→『新約聖書

ヘブライ語→『旧約聖書

この三言語以外に『聖書』は訳されず

マルティン・ルター宗教改革で『聖書』を独語訳∵プロテスタントは聖書主義

これに対しカトリックは反発し、東アジアへの布教を開始したが、『聖書』の漢訳を法王が認めなかったため、伝播が小規模にとどまった。

 

アラビア語→『コーラン

明代から教義書の漢訳が進むが、『コーラン』(中国では『古蘭経』と表記)の漢訳は近代以降。

 

自然と作為

自然

→元々は中国語で状態を表す語。「自」は「〜より」で起点を表し、「自ら(みずから)」「自ら(おのずから)」に派生したが、中国では使い分けない。

老子』→「自然」を初めて哲学用語として用いた

ものが自ら(みずから)動く(当事者視点)→他者からは自ら(おのずから)動いているように見える(第三者視点)→もの主体

自然(もの主体的)⇔作為(人為的)

自然と作為どちらが理想なのか?

孟子性善説)→自然派 荀子性悪説)→作為派

(cf.)荀子孟子の50年後

「偽」→「偽(ぎ)」:にせ

    「偽(い)」:ものごとを行う→荀子はこちらの意味を採用

                 「善は偽(い)」=「善は人為的なものである」